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プロとアマチュアの違いは何か…。 自分の仕事に誇りを持ち、より充実した生活を送るためのヒントが満載。きっと誰もが今からでも変われます!本当の「自分」を発見し、マンネリズムから脱出しよう。 1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)までに連載された、芸術生活社発行『自己表現』の「プロフェッショナル研究」を原文のままお届けします。

Chapter6-2 プロフェッショナル研究 ~努力は誇りを生み、成功する可能性を広げる~

ビジネス
6-2

一つひとつの茶碗に祈りをこめる。頼むよ、お願いしますよ。それでも、成功するのは、運が良いときに一つあるかないかである。

初対面の挨拶がすんで、すぐにお抹茶が出た。住宅地が途切れたところを、少し山の方にはいったあたりにあるその人の家は、閑静で木が多く、芸術家の住まいというイメージにぴったり。縁側につづく広い部屋は私の田舎の家によく似た感じだが、厚さがたっぷり二十センチはある白木の机は長さが六メートル余り、幅が八十センチぐらいで、大きな木をそのまま幾つかにたて割りしたらしく、もとの木の形そのままの曲線が美しい。あんなみごとな机ははじめて見た。私の田舎などにはとてもみつからない。
そんなたたづまいだから、お弟子さんらしい青年がお抹茶を運んできてくれても、違和感はまるでなく、お作法を知らぬことも忘れておいしくいただいた。
しばらくして、案内して下さった水谷部長(注1)が「先生、このお茶碗の底には木の葉の模様がはいっていますな。葉っぱをそのまま焼きつけたみたいに」と声をあげられた。
読者諸氏の中にも中学生のころ、理科の実験でやったことがある人もあると思うが、木の葉をアルコールに入れてその器を湯に浮かべ熱してやると、葉緑素がとけ出して白くなる。そうすると葉脈がはっきり見えるようになる。あるいは観光地のおみやげなどに、大きな木の葉の葉脈だけを残したしおりがあるが、あんな感じに、まるで写真を焼きつけたように、茶碗の底に模様がはいっている。
実を言うとそのときは、私の茶碗はお弟子さんが下げてしまっていたから、よく分からないが、お茶をいただきながら「この茶碗の底の色づけのむらのようなものは装飾的につけたのかな、そうならお茶に隠れて見えない底のほうでなく、外側につければ良いのに」などとぼんやり考えていて、たずねてみもしなかったのだが、水谷先生のその言葉に、先生のお茶碗をのぞきこんでそれを確認した。
お茶碗にはりついたようなこの模様、これが木村盛和氏を一躍有名人にしたものなのである。
そのときの木村氏の胸中を推測すれば「やっと気がついたか、この物知らずめ!!」ということだろうと思うが、そのときの木村氏は静かに「そうです、椋(むく)の葉を焼きつけたんです」と答えただけだった。
おどろいたねえ。だって考えてみてよ、陶器を焼くかまの中はたしか二千度とか千五百度とかになるんだろう。椋だろうが樫だろうが葉っぱなんてあっというまに燃えて灰になっちまうに決まっているじゃないか。それをどうやって焼きつけるんだろう。
この私の素人丸出し疑問に、現代の名人陶工は静かな口調で説明してくれた。その話がプロフェッショナル研究になると思うんで、かいつまんで紹介しよう。
『茶碗の上にのせてかまの中へ入れた椋の葉が、燃えて丸まったり形が崩れたりすることはよくあります。何しろ高温の中でほとんど一瞬に燃えてしまうんですから。燃えて灰になっても形が崩れず、静かにお茶碗の底に落ち着いて、着色の薬と一緒に焼き付いてくれてはじめてこうなるんです。
ですから、燃えても形が崩れず、丸まりもしない椋の葉、椋が良いということを見つけるまでもいろいろやってみましたが、やっとそれが分かって、そういう椋の葉をみつけるのが大変でした。
丹波の山奥に知人の持っている椋の木がありまして、そこの葉が良いことが分かりました。葉の成分がどこか違うらしいです。詳しいことはまだ分かりません。
いろんなところの椋の葉を試してみました。ですが、勝負はほんの一週間です。何しろ、まだ青くて木についている葉はだめなんです。だから、木のそばにいて落ちてくるのを拾わなきゃならない。葉なんて落ちはじめたら一週間ぐらいでなくなります。落ちてからほっておけばぬれたり腐ったりしてこれもだめ。木のそばにいても強い風でも吹けばどこへ飛んで行ってしまうか分かりませんもの。
葉は焼きつけると五分の一ぐらいに縮みます。ですからなるべく大きい葉をさがします。ちょうどお茶碗のさしわたしぐらいのが良いようです。
そうやって葉っぱを集めて、粘土でお茶碗をつくって、一がまに三十ほど入れて火をつけます。運が良ければ一つできています。二つできたことは今まで一回もありません。ですからかまに入れるときに、一つひとつ、頼むよ、お願いしますよ、と祈りながら入れるんです』
えらいもんだなあ、と感心した。これこそ本当のプロフェッショナルだ。

つづく

月刊『自己表現』1982年11月号から原文のまま

(注)水谷二郎。福井教会長。当時、福井ブロックの指導部長を務めていた。

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