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プロとアマチュアの違いは何か…。 自分の仕事に誇りを持ち、より充実した生活を送るためのヒントが満載。きっと誰もが今からでも変われます!本当の「自分」を発見し、マンネリズムから脱出しよう。 1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)までに連載された、芸術生活社発行『自己表現』の「プロフェッショナル研究」を原文のままお届けします。

「努力は誇りを生み、成功する可能性を広げるⅢ」プロフェッショナル研究 Chapter6-3

ビジネス

茶碗一つが四十万円。しかし決して高くない。プロの才能、着眼、研究、努力を総合した値段は、それ以上の芸術的価値がある。

以前この欄で、プロはまず強くなくちゃ、という話をした。陶工で言うなら、プロフェッショナルなら、とりあえず良いもの、他の陶工が真似できないようなものをつくらなくちゃならない。そのためにはもちろん天性の才能も必要だろう。だが天性にだけ頼っていては人に抜きん出るプロにはなれない。天性の上に努力、それも単に土をひねるのがうまくなるという努力ではなく、そこへ行く以前の基礎となる努力、木村氏の例で言うなら、どんな木の葉がよいかさがす努力、集める努力、当然ながらかまの温度や着色薬の調合にも工夫が必要のはずである。
さきほどの私の失敗について、ちょっと言訳をするなら、水谷部長のお茶碗は白っぽいもので葉っぱの模様はうすみどりに、いかにも葉っぱらしく浮き出ていた。私の茶碗は黒っぽい茶碗で、葉っぱの模様はまるで着色薬を塗りそこなったみたいに、かすれたように見えた。だからそれを模様とは思えなかったということもある。
せっかく葉っぱがうまく焼きついても、私のような神経の粗雑な人間に分からないままではつまらない。だから着色の薬もその辺の効果を考えて選ぶべきであろう。
まあ、こういう努力、それに茶碗を形よくつくりあげるとか、適正な土を選ぶとかまで入れて、そういう努力が長い間続けられて一つの実力となり、すぐれた作品が生まれる。
「葉っぱの話をしていれば何時間でも話すことがあります」
と木村さんは言っていた。
事実、水谷部長と私は、木村さんのところには二十分か三十分いて引上げるつもりであったのだが、そろそろおいとましょうというときは三時間たったあとだった。
プロフェッショナルとはこういうものである。語りつくせないような努力、人が真似しようとしても真似のできない努力、別に秘密にしなくとも、どうやるかを聞いただけで、とてもそんなことはできない、やろうという気持ちにもならん、というほどの努力があってこそ、真のプロフェッショナルになれるのである。
あとで聞くと、木村盛和作の木の葉模様入り茶碗は一つ四十万円だそうな。私などにはとても買えない値段であるが、決して高くはない、少なくとも法外ではない。木村氏の才能、木の葉をそのまま焼き付けるという着眼、それを実現するまでの研究、そして実作の努力、こういうものを総合してみるならば、この値段は妥当であり、作品にそれだけの芸術的価値があると言える。
我々は自らの仕事においてプロフェッショナルである。あるべきなのではない、あるのである。木村盛和氏は努力の結果成功しているが、我々は自らの仕事において成功していると言えるだろうか。
もちろん木村氏は何十万人に一人という天性の才能の持ち主であろう。我々と比較するのは無理かもしれない。だが、才能についてはともかく、その努力の程度において我々が劣っているならば、我々には一生働く男としての誇りは持てぬことになる。
誰も真似のできない努力の方法をあみ出し、その努力を続ける者には、たとえ才乏しくて成功に至らずとも、誇りだけは失わず、胸を張って生きることができるのである。

月刊『自己表現』1982年11月号から原文のまま

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