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プロとアマチュアの違いは何か…。 自分の仕事に誇りを持ち、より充実した生活を送るためのヒントが満載。きっと誰もが今からでも変われます!本当の「自分」を発見し、マンネリズムから脱出しよう。 1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)までに連載された、芸術生活社発行『自己表現』の「プロフェッショナル研究」を原文のままお届けします。

「古い基本をたずねて、新しい事態に対応しようⅠ」プロフェッショナル研究 Chapter9-1

ビジネス
9-1

センセーから学ぶのは知識と技術だけじゃない。プロとしての基本的な心構えも学べるはずなんだ。
基本を知っている人が、人生の応用問題に対しても、しぶとい強さを発揮する。

 

センセーと呼ばれる人種がある。
“先生と呼ばれるほどのバカでなし” という川柳があるが、これはセンセーと呼ばれる職種が現在のように多様化していなかったころのことである。
時代劇の中でセンセーと呼ばれているのは、まずやくざの仲間入りをした剣客、それから寺子屋の師匠、医師と学者、どちらかというと一種の知識・技術・資格などは持っていても、世間智というのか金をもうける才覚などはあんまりないという人であったようだ。
それだけに川柳子などには、先生と呼ばれる人の専門的な知識や技術、あるいは人格には敬意を払いつつも、何となく見くびるような気持ちがあり、それがバカでなしという句になったのだろう。
しかし、今はそうも言えない。
第一、センセーと呼ばれる人の層が厚くなった。
職種もひろがって、専門バカではその専門の中ですら認められにくくなった。
大学紛争があちこちで起こっていたころ、ある教授が団交の席上、「あんたは専門バカだ」と言われ「そして君はただのバカだ」とやり返して笑いを誘い、とげとげしい空気をやわらげたという話があるが、せめてこのぐらい頭の回転の早さがないと、専門バカの中ですら人に抜きん出ることはできない状況なのである。
山口瞳氏。「江分利満氏の優雅な生活」以来、私はこの人のファンである。
もちろん一読者として書かれたものを読むのが好き、というファンであって、直接会ったこともなければ会ってみたいとも思わない。
書かれたものを読んでの感じから言うと、気むづかしくてつきあいにくい人のようである。
「血涙十番勝負」という山口氏の作品については前にも何回か書いたと思う。
山口氏がプロ将棋界の一流棋士と飛車落ちで指した記録を中心とした読み物である。
とても面白かったので「続血涙十番勝負」も買った。
はじめの章に、これを始めるに至ったいきさつの説明がある。
――前回最終局に師匠のヒデちゃん(山口英夫五段)に挑戦し、勝ったら角落にしてくれるかと言った。
彼、ああいいですよと言った。
僕は天がさいわいしてユビ運があり、奇勝を博したのである。
従って、約束どおり、次の稽古日から角落になった。
僕はこう言った。
「これで二年か三年勉強して、自信がついたら、もう一ぺんプロに挑戦しようと思っているんです。

それで『小説現代』がもういちどのっけてくれるなら、ぜひ、やってみたいなあ」
そう言った腹のうちでは、将棋もさることながら、僕だって、その間に、文学のほうだって勉強したいという希望があったのである。
僕だって、そのために『世界文学全集』や、『日本古典文学大系』なんかを予約購読しているのである。

本棚は、断じて飾り棚ではないのである。
しかるに、ヒデちゃんは、持った駒箱ばったと落としてこう言った。
「先生、そりゃいけません」
ヒデちゃんは僕のことを先生という。
さながら、横丁の隠居を見るが如き面貌(めんぼう)となる。
僕もヒデちゃんを先生という。こりゃ当たりまえだ。
ときにヒデちゃんという。なんだか教員室にいるみたい――。

つづく

月刊『自己表現』1983年2月号から原文のまま

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