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プロとアマチュアの違いは何か…。 自分の仕事に誇りを持ち、より充実した生活を送るためのヒントが満載。きっと誰もが今からでも変われます!本当の「自分」を発見し、マンネリズムから脱出しよう。 1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)までに連載された、芸術生活社発行『自己表現』の「プロフェッショナル研究」を原文のままお届けします。

「古い基本をたずねて、新しい事態に対応しようⅡ」プロフェッショナル研究 Chapter9-2

ビジネス

金切り声をあげても生徒は聞かない。
プロだったら「月山君、そこの席」と、一人一人の名前を呼んで指示を出す。

 

病院で先生と言えば医師のこと。教室での先生は教師。議員会館でなら代議士。
法律事務所で先生と言えば弁護士に決まっている。
撮影所で先生と呼ばれるのはどういうわけか脚本家、それと監督かな。美容院じゃ美容師が先生と呼ばれるし、楽屋に入れば歌手が先生。
マッチも聖子ちゃんも「先生」と呼ばれてるかもしれない。
私がショウビジネスの世界にいたころのスター、美空ひばりや西郷輝彦、三田明なんかみんな「先生」と呼ばなきゃ返事をしなかったもの。
先生という言葉を最初に使うのは、たいていの人の場合、幼稚園か小学校で担任の教師に向かってじゃなかろうか。
つまり先生という言葉の一般的な意味は何かを教えてくれる人、つまり師に対して用いる敬称であるはずである。
だから、スイミングクラブやテニスクラブ、ゴルフ練習場、ダンス教習所の指導員までが「先生」と呼ばれることになる。
芸能人にはふつう弟子がいる。
だから浪曲師も漫才師も歌手も「先生」で別にふしぎはない。
落語家だけは昔ながらの師匠という敬称を好んでいるようだ。
こう見てくると、現代の先生と呼ばれる人たちは、バカでなしどころか大変に利口で、世間智も広く、話のわかる人のほうが多いように見える。
それだけ競争が激しくなって、知識や技術がすぐれているだけでは世に認められないからだろう。
美術や文学の世界でも、良い作品を創作するだけではだめで、それを認めてもらうための努力、後援者や協力者を得るための努力をしなければ埋もれてしまうのだそうな。
だから今ごろは、昔よくいたような破滅型の文士などはあまり見当たらず、割合にきちんとしていて良識的な人が名をあげている。
とは言ってもプロフェッショナルの世界、名が出ただけで満足してしまっては、それで行き止まり。
常に自分のなすべきことをなし得るだけの技術がなければ、現在の地位を保ち続けることさえできないだろう。
人に何かを教える立場にあることが「先生」と呼ばれる条件であるなら、常に人に教えるものを持ち、教えるための技術を持っていなければならないのである。
私の妹は画描きである。
とてもプロフェッショナルと言うほどではないが、一時期小学校の美術の教師をやったこともある。
小学校の二年生とか三年生と言えば全くの子供である。
しかも美術の授業はいつもと違う教室で行うから、席も決まっていないし、移動のあとのざわめきもあって、生徒が落ち着かず、立って遊んでいたり騒いでいたりする。
そんなとき「みんな静かにして。さあ席について!!」と金切り声をあげてもなかなか静まらないそうである。
そういうときは、「月山君、そこの席にすわって」「火浦君、あなたもっと前の席に来なさい」「水沢さん、あなたもこっち」「木村さんは金城さんのとなり」「土岡君、そこの席」というように、一人一人の名前を呼んで指示するとみんなおとなしく言うことを聞くのだそうな。
このことを発見するまで、授業を始めるのが大変だったという。
妹が教室運営法の授業を受けていればこんなことは常識だったのかもしれない。だが、紙の上から学んだものや、人に教えられたものでなく、実地の経験から学んだことだけに、この妹の言葉は興味深い。
もし妹がこんな苦労をしていなければ、子供の名前を早く覚えよという注意書きもただの注意書きとしか読めず、それが自分の仕事の成否を左右するものだとは思えなかったことであろう。

つづく

月刊『自己表現』1983年2月号から原文のまま

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