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プロとアマチュアの違いは何か…。 自分の仕事に誇りを持ち、より充実した生活を送るためのヒントが満載。きっと誰もが今からでも変われます!本当の「自分」を発見し、マンネリズムから脱出しよう。 1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)までに連載された、芸術生活社発行『自己表現』の「プロフェッショナル研究」を原文のままお届けします。

「古い基本をたずねて、新しい事態に対応しようⅢ」プロフェッショナル研究 Chapter9-3

ビジネス

三十人の英会話教室。
ハワイの先生は、たった一晩で全員の顔と名前を完全に暗記して、翌日の授業に臨んだ。

もう二十年ほど前になるが、私の両親がハワイ教会に赴任した。
まるで英語がわからないのに良い度胸だと感心はしたが、実際には初日から困惑したらしい。
そこでさっそく、ハワイ州政府が開いている、英語の話せない移住者のための英会話教室というのに毎晩通うことになった。
両親のクラスの担当教師は三十代の女性だったそうだが、とても良い人だった。それに一生懸命な人だったと母は感心していた。
初日はクラス全員、三十人ほどが自己紹介をした。
名前、国、仕事の内容などそれぞれに片言の英語と、その先生の巧みな質問によって出る答で、みんなも大体のことはわかったそうである。
そのときの教室運営もだが、次の夜からはもっと驚いた。その先生はたった一晩でクラス全員の名前と顔を覚えていたのである。
みんなに発音の練習をさせる。
例えば九時半なら「nine thirty」である。
「はい、みんなで言って下さい。nine thirty」とやり、「あ、今のミセス井上の発音は大変よかったです。
それからミスタ陳、もっと大きく口を開いて」などと、一人一人の長所短所を名指しで指摘する。一体いつの間にこれだけの人の名前を覚えたんだろう。
そして、どうして間違えないんだろ、と本当にふしぎに思えたと母は今でも言う。
そういう母はその先生の名前を忘れているのであるから、英会話の実力も大してつかなかったに違いない。
PL女子短大のPL教義ゼミの講師として私はよくこの話をし「プロフェッショナルとはこういうものだ。
諸君の中には教職を志望する人もあろうが、まず、こういうことから努力しなければならない」と訓示を垂れるのであるが、そういう私自身が、たった六人か七人の学生さんの名前をろくに覚えきれないのだから世話はない。
いわゆるプロフェッショナルには師とか士のつく人が多い。
医師、教師、調理師、美容師、技師、文士、弁護士、棋士、消防士等々である。
長い間プロフェッショナルとしてやって行ける人は、大体において変化に強い。
今まで経験したこともないような対象や事態に対しても、あわてず騒がず、何とか対策を考え出し、あまりひどい失敗はしない。
それはどうしてかというと、基本がしっかりしているからである。
例えばさきほどから言っている相手の名前を覚えることなども、人を教える仕事の基本の一つである。
例の「ただのバカだ」とやり返した教授は団交を丸くおさめる名人だったという。
その秘訣は、相手の学生が何か言うと「では今の木村君の質問に答えよう」と言って話をする。途中で誰かがやじると「今の田中君の発言だが、もう少し論理的に言ってもらいたい」と必ず相手の名前をあげて発言したので、相手が教授の話をしまいまで聞いたからだという。
すべてのことに基本がある。
発声の悪い歌手は、一度や二度は人気が出ても長くスターではいられない。
人間観がしっかりしていない作家は一時的に名が出ても結局駄目になる。
それはつまり、そういうことが基本だからである。基本がしっかりできている者は、変化に対しても危なげなく対応ができる。
世の中のあらゆるものは流動的であり、決まったように動くとは限らない。
プロフェッショナルがプロフェッショナルらしさを見せるのは、そういうときであり、だからこそ「先生」と呼ばれる資格を持つのである。
温故知新。古きをたずねて新しきを知れば、もって師たるべし、と孔子は言った。
基本は古い。その古いものをしっかりと身につけ、新しい事態に対応できる力とする。
そうなってこそ、人に教えることができる。
三千年もの昔、孔子が言ったことは、今でもPLの教えによって解釈するなら、立派に通用する教えなのである。

月刊『自己表現』1983年2月号から原文のまま

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