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プロとアマチュアの違いは何か…。 自分の仕事に誇りを持ち、より充実した生活を送るためのヒントが満載。きっと誰もが今からでも変われます!本当の「自分」を発見し、マンネリズムから脱出しよう。 1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)までに連載された、芸術生活社発行『自己表現』の「プロフェッショナル研究」を原文のままお届けします。

「癖を是正して進歩を目指す自分となっているだろうか」プロフェッショナル研究 Chapter11-1

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二代教祖様(注)が口癖のように私を評して言われたお言葉の真意に、ようやく今ごろになって私は気付いた。 “癖”とは欠点である。“癖”をなくす努力に、進歩向上の鍵(キー)はある。

恥を書くことになるが、昔のことだからかまわないだろう。
高校の一年生のころである。そのころはまだPL学園は設立されておらず、私たちPL教師の子弟は、親の転任に伴って転向を繰り返すという状況にあった。私自身にしても、小学校中学校とも二回ずつ転校した。もっとも私の場合は戦争のため転校を余儀なくされたものがあり、親がPL教師だから転任と共に転校したというケースは一回しかないが。
不便だし金はかかるし、おまけに勉強もできなくなる、これはなんとかせにゃならん(と当時の偉い人が考えたのだろう)、SC寮という寮ができて、私が高校生のころはそれが東京都渋谷区富ヶ谷町にあり、富ヶ谷SC寮と呼ばれていた。
下は小学校の四年生から上は高校三年生まで、七十人ぐらいの寮生がいたと思う。大学生には別の寮があった。小・中学は大体同じ学校に行っていたが、高校生はそれぞれ別の学校へ行き、寮生活と学校生活が、全く別の集団生活で、けっこう面白く暮らしていたように思う。
狭い寮に小さな子どもも交えて七十人も暮らしている(何しろ私の部屋は八畳で、そこに高三の室長、私、中学生二人、小学生一人計五人が寝ていて、それは良い方だった)のだから、火事がいちばん怖い。それに変なのが入りこむのも困る(寮長先生以下先生はみんな女性だった)。だから、高校生には夜警の献身があり、夜遅くまで見廻ったり起きていたりしていた。
ある日私は友達の家でマージャンをやり、十二時過ぎに寮へ帰ってきた。今ごろの高校生はマージャンなんてあたりまえかもしれぬが、そのころ高校生がマージャンをやるなんて、とんでもない不良だと思われることだった。
だから、先生にみつからぬようにうまく自分の室へ入りこまなきゃならない。玄関からは入れない。そこは夜警当番のときに見定めた抜け道がある。寮のまわりにたっている塀の一カ所に乗り越えられるところがあって、それを私は知っていた。今のように体重百キロでは無理だが、当時の私はボクシングの選手で体重六十八キロ、ヒラリとは行かぬまでもスルリぐらいによじのぼり、寮の庭へとびおりようとした。「おい、誰だ」といきなり声をかけられてビクッとして見たら、いつも怖いと思っていた高三の先輩だった。その人がその晩の夜警だったのである。
「僕だ僕だ、井上です」
私はあわてて言ったよ。さもないとバッドでぶんなぐられる恐れがある。
「何をやっとった」てな具合にしぼられたあげく、このことが当時のおしえおや様、第二代教祖に報告されちまった。
その時は寮長先生と先輩に叱られ、夏休みに帰省したときに両親に怒られたぐらいで忘れちまっていたが、これがあとで散々やられるもとになるとは知らなかった。
第二代教祖様はその後、事あるごとにこの話をされた。大学SC生で御指導いただくとき、それも、私が新入生のとき、上級生になったとき、寮の役員になったあと、卒業して教師になった後も教師会議や錬成のときなど、たくさん人がいるとき、今から私を信用してもらわないと困るような人の前などで「この一親というヤツは夜中に寮の塀をのりこえようとする男だ」とやられたものである。教団中の人が私のことを、塀をのりこえたヤツと知っていた時期さえあった。
「もうわかりましたからその話はやめて下さい」と口には出さぬまでも、腹の中では不足たらたらで「あれを言われるからおやじ(二代教祖様のことを教師はこう呼んでいた)の前へ行くのはイヤなんだ」などと文句を言っていた。

注 宗教法人パーフェクト リバティー教団第二代教祖御木徳近(1983年2月2日没)

つづく

月刊『自己表現』1983年5月号から原文のまま

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