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プロとアマチュアの違いは何か…。 自分の仕事に誇りを持ち、より充実した生活を送るためのヒントが満載。きっと誰もが今からでも変われます!本当の「自分」を発見し、マンネリズムから脱出しよう。 1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)までに連載された、芸術生活社発行『自己表現』の「プロフェッショナル研究」を原文のままお届けします。

「鍛えがいのある若者よ、来たれ!」プロフェッショナル研究 Chapter14-1

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失敗も結構。だが同じ失敗を二度しない―これがやる気のある者の最低条件である。

――プロってのは、ぶんなぐったほうは忘れていても、ぶんなぐられたほうは必ず覚えているものだ――
荒木大輔が予告先発で阪神戦に登板し、何とか五回を抑えて勝利投手になった晩、
あるテレビ番組で解説者の野村克也氏が言ったことばである。
ぶんなぐられたほうは必ず覚えている。良い言葉である。
これのない人間はプロフェッショナルとは言えないのだ。
今年の将棋第四十一期名人戦は、谷川浩司八段が勝って二十一歳、史上最年少の名人となった。
加藤一二三九段は、一期だけで名人位を失った。これも初めてのことだそうだ。
前名人となった加藤一二三九段は、今でこそでっぷり肥って貫録があり、実績もある実力者だが、
二十年ぐらい前は青年というより少年という感じの若者だった。
十八歳でA級にはいり、ハイティーン名人誕生かとさわがれながら、
早大の入学試験に合格したというんだから、神武以来の天才と言われたのもうなずけるだろう。
今にも名人になれそうと思われながら二十年、
大山康晴十五世名人や升田九段などが壁になってどうしても抜くことができなかった。
そのうち、鉄腕アトム中原誠が登場して、だれもできずにいた打倒大山を果たし、
棋界に中原時代をつくった。
加藤一二三も何度か中原に挑戦しては敗れた。
初めごろは敗けかたがまるで一方的で、四対〇。
四対一など、はっきり言えば問題にされない形であった。
とうとう大山に勝てなかった加藤は、中原にも勝てぬまま終わるのか、
と思っていたら、いつのまにか加藤は中原との差を縮め、逆転していた。
その開花が昨年の名人戦だった。

苦労して壁を破った者は、当分はその勢いで勝ち続ける、
これが勝負の世界の常識である。
話はそれるが、巨人の原は打率が二割六分とか七分になると、
急にヒットが出始め、二割八分、九分二厘なんて数字が出ると、
また当たりが止まって、二割七分とか六分ぐらいまで落ちる。
そのようなことを繰り返しているようだ。これで何かのきっかけで好調が続き、
一ぺんでも打率が三割に乗れば、それからしばらくは落ちないだろうと思う。
壁というのはその人にとって、破るまでが大変だが、
破ったあとはその人が一皮むけると言うのか、一まわり大きくなるというのか、
要するに実力がぐんとつくものだから、そういう現象が生まれるのである。
だから、何べん対戦しても勝てなかった中原という壁を破り、
名人という最高位についた加藤が、しばらくは棋界に君臨するだろうと思っていた
私の予想は一年目ではずれてしまった。
加藤にとって不運だったのは、挑戦者が中原でなかったことだろう。
もしも相手が中原なら、第一局は絶対に落とさなかったろう。
谷川とのあの対局は加藤に分のある勝負だったと思う。
あれを落としたので、何かがおかしくなり、あれあれと思う間に三連敗、
絶対不利の形をつくってしまった。挑戦者谷川の鮮やかな先制攻撃であった。
だが、それからが加藤のプロフェッショナルたるところ。
続く第四戦第五戦と連勝した。ぶんなぐったほうは忘れても、
ぶんなぐられたほうは覚えている。一・二・三戦の敗因分析から、
新たな闘志を燃やしての反撃だった。

つづく

月刊『自己表現』1983年8月号から原文のまま

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