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コラム
プロとアマチュアの違いは何か…。 自分の仕事に誇りを持ち、より充実した生活を送るためのヒントが満載。きっと誰もが今からでも変われます!本当の「自分」を発見し、マンネリズムから脱出しよう。 1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)までに連載された、芸術生活社発行『自己表現』の「プロフェッショナル研究」を原文のままお届けします。
「鍛えがいのある若者よ、来たれ!」プロフェッショナル研究 Chapter14-2
壁というのは、その人にとって破るまでが大変だが、破ったあとはその人が一皮むけて、
一まわり大きくなって、壁ではなくなる。
結局、それが遅すぎた。
前半の三つのうち一つでも取っていれば名人位防衛はできていたろうに、
三連敗は何と言っても大きすぎた。
二十年かけて取った名人位を一年で失って、
前名人はどんな心境だろうか。でもこれで終わったわけではない。
まるで問題にならなかった中原との差をじりじり縮め、ついに抜き去った前名人のことだ。
来年、あるいは再来年、また名人戦に登場するだろう。
それがプロフェッショナルというものなのだ。
もちろん中原も大山も、まだあきらめてなどいるはずはない。
実力は紙一重なのだから他の棋士たちにしても、
大山や中原のように威圧感のある名人でなく、二十一歳の青年相手なら、
俺だってと気負っているはずである。
しばらくは群雄割拠(かっきょ)、戦国時代がつづく。
囲碁のほうは完全に趙時代になり、
プロ野球も巨人、西武時代、ゴルフ界は中島時代になりそうだから、
今のところ勝負の面白さという点では将棋界が一番であろう。
真のヤングパワー、常識にはずれた態度や変則的な技術で悪名高くなるのでなく、
実力のある若者の登場は、その世界に活気をもたらし、進歩を促進する。
だが、忘れてならないことは、
そういうヤングパワーに対してもプロフェッショナルたちはひそかに対抗策を練り、
ぶんなぐられたことを覚えていて、なぐりかえす時機をねらっていることである。
たとえあとからその時代をながめて、〇〇時代と言われるような時期であっても、
そのかげには、多くのプロフェッショナルたちが、せめて一本入れたい、
一泡ふかせてやりたいと、骨身を削る努力研究をしていたはずである。
ぶんなぐられっぱなしでケロリとしているようではプロフェッショナルとは言えないのである。
さて今年は、新年早々趙治勲が棋聖のタイトルをとって
名人位・本因坊・棋聖とビッグタイトルを独占したり、春は巨人の五十番トリオが活躍したり、
二十一歳の青年名人が誕生したり、ヤングパワーがベテラン陣を押しまくり、
青年諸氏にとっては心強い限りの年であろうが、実生活と言うか、
我々が日頃たずさわっているビジネスの世界では、
なかなかそんなぐあいになってはくれないものだ。
ビジネスは信用であり、段取りであり、手順であり、アイデアである。
そういうものはどちらかというと、若さと情熱からよりも、経験と知識から生まれることが多い。
だから、若い諸君が一生懸命にやったこと、やろうとしたことが、
思いもかけぬミスになったり、とんでもない誤解につながったりして、
結果的に大失敗ということもある。
「この馬鹿者!!」「まぬけめ!!」
などと叱(しか)られるようなことは、思いのほか多いのだ。
ぶんなぐられると言っても、実際にゲンコツでやられることは、
現代では少なくなった。そういう行為は理由の如何を問わず、決定的に悪いこと、
という風潮が一般的になっているからだ。
戸塚ヨットスクールのしごきぐらいのものは、
筆者の少年時代は別に珍しくも何ともない、ふつうのことだった。
世間も問題にしないし、なぐられたほうも、だからといっていじけたり、
なおさら反抗するなんてこともなかった。
へまをやってなぐられた、じゃ次からはへまをやらぬようにする、
それだけのことだった。
つづく
月刊『自己表現』1983年8月号から原文のまま
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