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コラム
プロとアマチュアの違いは何か…。 自分の仕事に誇りを持ち、より充実した生活を送るためのヒントが満載。きっと誰もが今からでも変われます!本当の「自分」を発見し、マンネリズムから脱出しよう。 1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)までに連載された、芸術生活社発行『自己表現』の「プロフェッショナル研究」を原文のままお届けします。
「鍛えがいのある若者よ、来たれ!」プロフェッショナル研究 Chapter14-3
プロフェッショナルたちは、ぶんなぐられたことを覚えていて、
ひそかに対抗策を練り、なぐりかえす時機をねらっているものだ。
もっとも、なぐらずに教えてくれる先輩のほうが良かったことは事実である。
そんな先輩や先生に指導されたときのほうが、
技術的にも進歩したし、心情的にも団結が固くなった。
なぐるなんてことは、別に珍しくなかったとは言え、
そのほうが効果的だったかということになれば疑問である。
むしろ一発なぐられただけで責任が済んだような気になって、
次からもいいかげんになり、かえって進歩はおくれたと思う。
とくに、別に理由もなく、面白半分に後輩をなぐる先輩、
こういうのは大体において実力がなく、ほかの点でだめな人間が多かったし、
嫌われもした。なぐられたほうは覚えていると言うが、
そういう先輩のことは今でも覚えている。
どさくさまぎれにふくろ叩(だた)きにされるのはそういう先輩ときまっていた。
宿題を忘れるとなぐる英語の先生がいたが、
しまいには、「あんなややこしい英語の宿題をやるより、
一発なぐられて済むならそのほうが良い」などと言って、
まるでやる気のない態度を示す者まで出た。その連中をやる気にさせようと、
先生は気ちがいみたいに怒鳴りつけ、なぐっていたが、さっぱり効果はなかった。
戸塚ヨットスクールも、あんな風だったのだと思う。ナンセンスな話である。
というわけで、ぶんなぐられると言っても、
実際にゲンコツが飛んでくるのでなく、失敗という形が明確にされるだけである。
なぜそうなったか、これを分析し、覚えておくこと、
それがなぐられたら覚えておくという意味である。
同じ失敗を二度しないということは、プロフェッショナルとして生きる上で、
最低の条件なのだ。
ところが、現実の世界には、この程度のことさえなかなかできない人が多い。
その多くは、失敗をしないように努力すべき人間は自分ではなく他の人だと思いこんでいる。
だって課長はゆっくりで良いと言ったじゃありませんか――という責任転嫁。
でも僕はそんなつもりじゃなかったんです――という自己弁護。
どうせ僕なんかだめですよ――という開き直り。
“だって”“でも”“どうせ”これがビジネスをだめにする三Dと言われる言葉だが、
これを連発して、いっこうに反省もせず、努力もせぬ若い連中をみると、
戸塚ヨットスクールの校長ではないが、一発お見舞いしたくなってくる。
そんなことをしても効果なんかないけど、少なくともこっちの気分はやすらぐ。
同じ失敗にしても、やる気でやってやりかたがまずかったためのものであれば、
教育の方法がある。そういう失敗をする人なら、ぶんなぐられたことは覚えていて、
この次は、この次こそ、とファイトを燃やしてくれるから、
指導もしやすいし、進歩も早い。
だが、最近の若い人の失敗は、やる気がなくてする失敗が多いという。
やる気はなし、給料だけはたくさんほしい、失敗というより怠慢が多いのである。
こういうのにつける薬はない。
何かのきっかけでその人がやる気になってくれるのを待つ他はない。
プロフェッショナルよ出(い)でよ、ビジネス界のベテランたちは今、
鍛えがいのある若者の出現を心待ちしているのである。
月刊『自己表現』1983年8月号から原文のまま
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