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コラム
プロとアマチュアの違いは何か…。 自分の仕事に誇りを持ち、より充実した生活を送るためのヒントが満載。きっと誰もが今からでも変われます!本当の「自分」を発見し、マンネリズムから脱出しよう。 1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)までに連載された、芸術生活社発行『自己表現』の「プロフェッショナル研究」を原文のままお届けします。
「鍛えた者はいさぎよし!」プロフェッショナル研究 Chapter15-2
![](https://www.lifeisart.co.jp/wp/wp-content/uploads/2018/05/15-2.jpg)
へまをやれば、あれは俺の失敗だったといさぎよく認め、失うものを失って再起を期すのがプロだ。そして、原因を究明すればよい。
さて、応用問題だ。
ガソリンスタンドで、灯油と間違えてガソリンを売り、
大騒ぎになることがよくある。
こんなところでアルバイトをするとき、どんな心構えが必要だろうか。
間違えないように注意するだけではない。
これが灯油と上司から示されても、
かすかにガソリン臭がするなど「おかしい」と思えたら、
積極的に確かめる。どうしたら間違いを防げるかを考えて提言する。
こんなことまで要求されるのだ。
具体的な一つひとつの判断は総合力を必要とし、
人格の成熟がある程度は大切になる。
アルバイトを禁止する高校が多いのは、
こんな理由もあるのではないだろうか。
プロフェッショナル研究、今回は趣向を変えて、
朝日新聞7月3日付を参照にして時事解説風に書いてみた。
読者諸氏はこの記事をどう思われるであろう。
今ごろはあまり言わなくなったが、ある時期の国鉄労組は、
あきらかに乗務員の過失あるいは怠慢で起こった事故についても、
決してそれを認めようとせず、苛酷な管理体制の犠牲になっただとか、
低賃金による栄養不足だとか、何とかかんとか文句をつけて、
次の闘争に有利な材料にしようとしていた。
そんな言い分けがあっさり通ったり、
それを本気で弁護する進歩的文化人、評論家などがあらわれたりして、
自分のへまを強弁することで他の責任にする生き方が
日本人の精神の中に市民権を得てのさばるようになった。
そんなことになる前は、軍国主義時代の厳しい責任主義が残っていた。
戦地の歩哨(ほしょう)が居眠りなんぞしていたら、
損害の有無にかかわらず銃殺という規定の中で暮らしていた人々にとっては、
苛酷な管理体制も、栄養不足も当然のことで、
そんなことを理由に責任をまぬがれるようなどと思うだけで、
男の風上にも置けぬ奴ということになった。
現代の日本を形成した男たちの多くは、
こういう気風で仕事に当たっているのである。
うまく行かないとき、自分の能力や努力の不足以外の条件を
数え立てて責任を逃れようとすることを、
弱音を吐くと言って、最も軽蔑すべき行為だとして生きていた。
だからまあ、この十九歳の女の子にはかわいそうだが、
戦地の歩哨が居眠りして、損害まで受けちまったんだから、
銃殺になるのはしかたあるまい、とこうなる。
それじゃあんまりだ、何も知らず言われた通りに働いて、
うっかり寝込んでしまっただけの女の子、
まだ十九歳で資格さえない子に、そんな責任をおっかぶせるなんて、
という人情論もあれば、
大体そんなのおかしいよ。
産院で起こった事故はすべて院長の責任だ。
昔の軍隊だってそんなことで銃殺になる兵士が出たら、
そこの隊長だってただではすまなかったはずだ。
それなのに、責任はすべてその女の子ってのは弱い者を踏みつけにして、
強い者だけが生きて行く、不合理な考え方だ。という正議論もある。
まだ他にもあるだろうが、大体この二つが多いはずである。
つづく
月刊『自己表現』1983年9月号から原文のまま
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