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プロとアマチュアの違いは何か…。 自分の仕事に誇りを持ち、より充実した生活を送るためのヒントが満載。きっと誰もが今からでも変われます!本当の「自分」を発見し、マンネリズムから脱出しよう。 1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)までに連載された、芸術生活社発行『自己表現』の「プロフェッショナル研究」を原文のままお届けします。

「鍛えた者はいさぎよし!」プロフェッショナル研究 Chapter15-3

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もし大事なときに、万に一つの間違いが起こったらどうなるか。プロというのは、そこまで用心して万全を

大体ねえ、プロフェッショナルてのはいさぎよいんだよ。
へまをやれば、あれは俺の失敗だったといさぎよく認め、
失うものを失って再起を期すんだ。
それのいちばんはっきりした例は、将棋や囲碁の対局のあとの感想戦だ。

勝った方も負けた方も、一緒になってここで
こうやっていればどうだったか、あそこでああすればどうか、
いったいどこでへまをやったのか、と研究し、
ああ、ここでおれがへまをやって敗因をつくったんだな、
と納得して別れるのである。
なぜそんなことができるか。
まず第一は、自分を十分に鍛えこみ、よほどのことがない限り、
へまなんかやらないという自信があるからだ。

例えば、熟練した船乗りは四時間ごとに目がさめるという。
外国航路の船は昼も夜も走るから、必ず誰かが当直に立つ。
それが四時間交代なんだな。ぐっすり寝ていても、
四時間たてば自分たちの船の安全のための仕事に戻らなくちゃならない。
居眠りなんかしてどこかの船と衝突でもしたり、
暗礁や浅瀬にのりあげたりしたら大変だ。
だからどんなに疲れて眠りこんでも、四時間たったらパッと目をさます。
そんなふうに自分の身体を鍛えてある。
その上、何か正常でないこと、天候の変化、
機械の音の変動などがあれば即座に目がさめる。
赤ん坊が死んでしまうまで何も気づかず寝こんでいたのとはえらい違いがある。
これがプロなんだ。

へまはやらないように自分を鍛えておいても、
なお思いがけない失敗をすることだってある。人間だからやむをえない。
そういうときは責任をとる。プロとはそういうものである。
そういうものだから、たとえ一度や二度失敗しても、
その人の仕事上の生命が失われることはない。
失敗によって学んだものが加わって、
その人のプロとしての実力は向上していることだろうし、
事態の変化にもついて行けるわけだ。
そういう人を世の中が放っておくはずがない。

何かかやと言い訳がましいことを言って責任逃れをする連中は、
その失敗を認めたら仕事上の生命がなくなるような者たち、
真の実力がない者たちである。
失敗の責任をとって会社をやめたら、
とたんに暮らして行く方途のない会社員、
彼はそれまで自分の実力、鍛えあげた力で仕事をしてきたのでなく、
会社の名前と立場の力だけで仕事をしてきただけなのである。

役人が責任をなかなかとらない、
何のかのと言って責任逃れをするのは、
大体役人なんかになっている連中は権力の端っこにつかまって、
立場で仕事をするのが習慣になっているから、
それを失ったのでは生きる道がなくなるからである。
プロはどんなときでも万全を期すもの。
録音スタジオで目にしたことだが、技師がテープを早送りで
回して別のリールに巻きとっていた。
みるとそれは封を切ったばかりのテープだった。
「何やってんだい」とたずねたら、
「切れてないかを調べてるんだ」という返事だった。
一流メーカーがプロ用に出しているテープである。
万に一つがあったらどうなるか。

プロってのはそこまで用心し、万全を期すのである。
ガソリンと灯油を間違うなんで初歩的なミスである。
当直が寝すごすのも全く初歩的なことだ。
そんなことが起きないように工夫し、万全を期すことは不可能ではない。
働いてお金をもらえば一人前とみなされる。
つまりプロとして認知されるわけである。
まず、自らを職業人として鍛えること、
万全を期すこと、となればそこに祈ることが当然必要になる。
神に依らぬ者に万全はないからである。

 

月刊『自己表現』1983年9月号から原文のまま

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