暮らしを彩る出版社
コラム
プロとアマチュアの違いは何か…。 自分の仕事に誇りを持ち、より充実した生活を送るためのヒントが満載。きっと誰もが今からでも変われます!本当の「自分」を発見し、マンネリズムから脱出しよう。 1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)までに連載された、芸術生活社発行『自己表現』の「プロフェッショナル研究」を原文のままお届けします。
「透視する眼力を養え」プロフェッショナル研究 Chapter20-3
仕事をソツなくこなすだけでは駄目。
自分の生きる世界、自分の仕事への思い入れを強く持っていてこそ、
常人には気付かない、物事の細かな機微が見えてくるのだ。
ディック・フランシスはスターであった。
イギリス競馬界のチャンピョン・ジョッキーとして
数々の勝利と栄光につつまれて引退し文筆生活に入った。
これで彼が競馬評論でもやったというなら話がわかりやすい。
それなら一流になるのも簡単だったろう。
だが、彼はミステリーの世界に挑戦した。
私が彼を知ったのは『本命』という作品だった。
彼が有名な騎手だと知ったのはその巻末の解説によってである。
それから私は彼の作品で日本語に翻訳されたものは
全部買って読んでいるが、
それは彼がスターであったからではなく、
小説が面白いからである。
今回は数字の中にロマンを見つける二人の発想に
唸ったことについて書いたが、そういう発想の根底に、
この二人に共通しているものがある。
それは自分の生きている世界と、
その中に住む男たちをこよなく愛していることである。
この二人は、勝負の世界に生き、
力の限りを尽くしながら、
男の優しさを失わない男たちを、
強い思い入れを持って好きなのだ。
『比較野球選手論』の中に別所投手のことがある。
別所が滝川中のエースだったころ、
甲子園で左腕を骨折しながら力投して敗れた翌朝の新聞に、
「泣くな別所、センバツの花」と書かれたことを述べたあと、
――だが私は、勝った岐阜商にも感動するのだ。
左腕を吊って投げる別所に、
セーフティバントの波状攻撃をかければ、
彼は濡れ雑布のように崩れたはずである。
だが別所が投げている間は、
誰一人彼の前に転がした者はなかった――と書き、
「人生、勝てば良いというものではない。
岐阜商は男の心を持っていたのである」
と締めくくってあるところなんか、
その思い入れの一番明白に出ているところである。
この思い入れがあるから、そういうことが見える。
左腕を吊って力投した別所投手の姿だけに気をとられていない眼は、
男はいかに戦うべきかを知り、
そういう心でプレーを見ていなかったらできるものではないのだ。
プロフェッショナルの眼と発想はそういうふうにしてできる。
ディック・フランシスの小説には
必ず同じようなタイプの主人公が登場する。
その典型は彼の作品の中でも一番面白い
『大穴』の主人公シッド・トレーである。
有名な騎手でありながら、落馬事故に巻きこまれて
左手の自由を失った男、
過去の栄光を捨てて私立探偵社の社員として
一から生活をやり直そうとする男、
苦しみに耐える力を持った男、
これは彼の騎手生活が、
大変な節制と自己規制を要したものであり、
今でもそういう生活に耐えている競馬の
騎手たちに対する一種の尊敬、思い入れの現れである。
そういう男の生き方を知り、
そういう男たちの持つ深い友情を知っている彼であるから、
彼の小説は、単に面白いだけでない魅力、
男が男として生きている姿の魅力が出るのであろう。
プロフェッショナルとは、仕事をうまくやるだけの男ではない。
仕事をしないときでも仕事への思いを持ち、
仕事とその世界を愛する気持ちを持っている男たちなのである。
退屈な冬だったら、この二人の書いた本を読めば良い。
面白いし、プロフェッショナルの心が感じられるから。
月刊『自己表現』1984年2月号から原文のまま
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